未来終活
ワクワクする後半生の設計図を描こう
徒然ブログ

トキワ荘に行ってきました

池袋で友人と仕事の打ち合わせの際、ひょんなことからマンガの話になり再建したトキワ荘の話題となりました。一度行ってみたいよね・・じゃあ調べてみようか、と早速その場で電話したところ、このご時世なので事前予約制ながら今日の午後は空いているとのことで時間指定の予約まで入れてくれました。

目的地までは池袋から西武池袋線一駅で徒歩15分ほど。トキワ荘は、1952年に豊島区椎名町に棟上げされ、手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオなどやがて日本を代表する若き漫画家たちが集い暮らしたことで有名になりましたが、老朽化のため1982年に解体されています。

しかしその後の日本漫画界の礎となったこのアパートの存在はすでに伝説となり、多くの人が懐かしんだことから、このたび当時の建物が復元され今年7月に豊島区立のトキワ荘マンガミュージアムとなってオープンしました。

当時としてはなんの変哲もない二階建ての木造アパートながら「漫画少年」を発行していた学童社の紹介でまず手塚治虫氏が入居し、続いて寺田ヒロオ氏が入居し、その後彼らを慕った若い漫画家が続々とトキワ荘に集い、マンガの梁山泊となっていったようです。

広い一間階段を上がった左手の部屋が手塚治虫氏の居室。ここで「リボンの騎士」は描かれたそうです。その隣には藤子不二雄氏の部屋があり、その先には赤塚不二夫氏、石ノ森章太郎氏が5年ほど住んでいた部屋が並びます。古いボットン便所に共同の炊事場、ここの流し場に赤塚不二夫氏は風呂の替わりに上がったらしい。各部屋は四畳半で漫画家必須の机と商売道具を並べたら、あとは起きて半畳寝て一畳の世界でしょう。

しかし決して豊かとは言えない時代のこの狭い空間から、漫画家たちは当時の子供たる私たちや、まだ生まれてもいなかった未来の子供たちに向かって大きな夢と多様な世界観と果てしない未来への憧れを発信してくれていたのだと思うと胸がいっぱいになります。

当時は幼稚とバカにされていたマンガを大人の目を盗むように読んでいた私たちが、そこから受けた影響は、少年少女世界文学全集よりはるかに大きかった。ドラえもんの道具から本当に実用化したものだってありますよね。タケコプターもどきや、今や誰もが使えるようになった翻訳こんにゃく。

手塚治虫氏の「火の鳥」「ブッダ」はじめ多くの作品はどんな哲学書にも勝るとも劣らないと思います。しかも哲学書はめったに読まないけれど、マンガは誰でも読めるわけでして。

そんなこんなを考えながら居室を復元した二階から降り、一階に開設されたマンガミュージアムを見た後、炎天下の下、冷たい飲み物のある喫茶店を求めて帰路につきました。

トラは死して皮を残す。さてあなたは何を残しますか?