最近は「お葬式はしなくていい」という人が増えてきています。
ごく近親者だけの家族葬でと望む方も多いようです。
極端な例では「直葬」と言って火葬場でお骨にするときに簡単にお経を挙げて貰うだけで済ます場合もあり、このコロナ禍においてはなおさらその傾向が強まってきているように感じます。
これは遺族に経済的な負担をかけたくない、親戚や友人にわざわざ遠方から来てもらうのは申し訳ない、という理由からのようですが、ここで今一度葬儀の意味を根本的に考え直してみませんか。
普通、葬儀は亡くなった方の為にするという考え方が一般的だと思います。だから自分の為の葬儀は要らないよ、と言うのが「葬儀はしない」という故人の遺志として遺されます。しかし葬儀は本当に故人の為だけのものでしょうか?
これはご家族を亡くされた体験のある方ならおわかりでしょうが、亡くなった直後、悲嘆にくれる間もなく葬儀の段取りをしたり弔問客の対応に忙しくすることで、悲しみを紛らわせた経験はありませんか。そのあと初七日でようやく一息ついてから七七忌までの月日は、家族にとってはかけがえのないグリーフケアの期間となります。
また友人にとっても同様に、葬儀に参列することは故人とのお別れをする意味で重要です。もし親しい人が亡くなったという報せを聞いても、それだけでは全然実感が湧かないのです。その方の葬儀に出掛け祭壇に飾られた写真を見て、居合わせた共通の知人と故人についてあれこれ語り合うことでようやく気持ちの置き場を見つけ、大切な友人の死を受け入れられるのです。
だから安易に葬式は出さないという考えは、本人はともかく親族や周囲の人の為にはならないのではないでしょうか?ささやかであっても家族や親族、親しかった友人やお世話になった知人に葬儀に参列して貰い、彼岸に送り出すための「別れの儀式」としてやはり葬儀は重要だと考えます。