未来終活
ワクワクする後半生の設計図を描こう
あなたは間違っている?

親の介護は自分でする?

ある病院の待合室での出来事です。

70代の老婦人にその娘と思しき40代の女性が付き添っていました。老婦人が何か言葉を発する度にその娘さんは、まるで母親が小さい子を叱るように「だから○○だって!」「さっきからそう言ってるでしょ!」「何度言えばわかるのよ!」とそのヒステリックな物言いと剣呑さはいささか目に余るものでした。

老婦人はオドオドと娘の顔色を覗いながら、また何か言いかけるのですが、その言葉も終わらないうちに、「だから~!おとなしく待っていなさいって!!」と黙れ球が飛んできます。気の毒なおばあさんは完全にフリーズしていました。

もともとこの娘さんはこんな人なのかと思いきや、エレベーターに乗り合わせた時にボタンをおしてあげると「どうもすみません」と他人に対しては穏やかに挨拶できるのですから、つまり彼女は母親だけに対して辛くあたる介護ノイローゼなのです。

その老婦人は自分で歩けるし認知症でもないのでそれほど手の掛かる方とはお見受けしなかったのですが、娘にとってみればその介護は相当な重荷なのでしょう。日々母親の面倒をみることに疲れ、自分をそんな日常に追い込んだ母親を恨み、ことあるごとに母親を罵倒して憂さを晴らしているのです。

閉鎖的な家の中での人間関係で介護する側とされる側の力関係が対等なはずはないのです。

ちょうど母親が小さい子供にとっては全知全能の神であるかのように、介護する側の娘さんは、体力も知力も衰えているか弱い母親を完全に支配下において自分の意のままに服従させているようです。それだけが唯一の慰めとなっているかのように。

暴力があろうとなかろうと、介護虐待とはこういうことです。なんと不幸なことでしょう。母親も気の毒ですが、娘さんも相当追い込まれています。

介護は決して自分一人で抱え込んではいけません。介護は家族がすべきというの時代遅れの概念です。高齢化は社会全体の責任です。

他に頼れる家族がいなければ、今ある社会資源を最大限利用して、昼間はデーサービスに通ってもらい、顔をあわさない時間があるだけでも娘さんのストレスは激減するでしょう。

たまにはお泊りサービスを利用して、友達と食事に行ったり旅行にでも出掛けて気分転換できれば、きっとこの娘さんもお母さんに対してやさしい気持ちを取り戻すに違いないと思います。

かつてある特養のホーム長が、自分の母親の入所が決まっていたのにその直前に自らの手で殺めてしまうという不幸な事件がありました。彼女自身、介護士であったにもかかわらず、自分の母親に対してはプロではなく、娘でしかなかったのです。

自分で手に負えなくなる前に介護はプロに委ねる。それが双方にとって一番良い道だというのが私の揺るぎない信念です。