未来終活
ワクワクする後半生の設計図を描こう
未来終活エッセイ

親の延命治療を望むか否か

友人の父親の終末期、人工呼吸器をつけるかどうかを問われ「お願いします」と言ったところ、意外にも担当医からは「もう十分なんじゃありませんか?」という言葉が返されたそうです。

人工呼吸器の装着は、実はその時が三回目だったのだとか…医師もまた良心に従えば、無理な延命は決して本人の為にはならないとわかっているのです。しかし本人の意思が明らかではなく、家族の意向として延命治療を望む場合は、人工呼吸器をつけたり、点滴で命を繋いだり、あらゆる医学的措置でその命を少しでも引き延ばそうというのが今の病院です。

最近不思議なことに気が付きました。自分の場合は終末期の延命治療は望まないと言っているにもかかわらず、親の場合には、なぜか延命治療をして欲しいと願う人が多いのです。件の友人もその一人です。

しかし、それが果たして本人のためになるかどうかは別問題です。自身で体験したわけではないので真偽は定かではありませんが、聞くところによると終末期の無理な延命措置は本人にとっては苦痛以外の何物でもないそうです。特養に勤める友人の話によると、人は食べなくなって1ヶ月、飲まなくなって1週間で眠るように息を引き取るそうです。そんな風に自然に亡くなった方のお顔はきれいでとても安らかだと言います。ところが、病院で最期の最後まで無理やり生かされた方の場合は苦痛に歪んでいて、整えないと遺族にも見せられない悶絶の形相なのだとか。

一瞬でも長く親に生きながらえて欲しいと思うのも子供心、お迎えに時が来たと覚悟して送り出してあげるのも子供心、それは人それぞれの死生観に関わるので干渉はできませんが、少なくても家族や子供たちが迷ったりその場で揉めなくて済むように、終末期医療に関わる自分の意思だけはしっかりと遺しておくべきでしょう。