未来終活
ワクワクする後半生の設計図を描こう
旅行記

エジプト紀行 六日目前編

5時モーニングコール、5時半トランク出し、6時15分に三日間の宿だったクルーズ船を出発して最後の見所、王家の谷へ向けて出発。このツアーはとかく早朝発が多い。

ルクソールではナイル川東岸は生者の地、西岸は死者の地とされ、王家の谷には歴代の王の眠る墓がある。王家の谷には60を超える墓が発見されているが、現在公開されているのはそのうちの十数か所。

バスで王家の谷に到着すると、ちょうどそこの工事現場で働く人たちの朝食風景に行き会った。ナンのようなパンに野菜や何かを挟んで食べているらしい。食べてみない?とジェスチャーで招かれたが、朝ごはん食べたから‥と丁重に遠慮する。

チケットで入場するが、見られるのは三か所だけ。それ以上の見学にはまたチケットを買い足さねばならない。特に有名なツタンカーメンの墓は別料金で300エジプトポンドが必要だった。

歴代の王の墓が次々と明らかになるなかで、石碑に名を刻まれているのに最後まで見つからなかったのが、ラムセス一世より前の紀元前1350年頃に即位したツタンカーメン王の墓。それを英国人のハワード・カーターがカーナヴォン卿の支援を受けて十年の月日をかけて探し当て、いまでは一番有名になった。

しかしその後、発掘に関わった者がみんな祟りで死んでしまったというエピソードが、私が子供の頃に少年マガジンで読んで震えた「ツタンカーメンの呪い」というお話。

14歳で亡くなったツタンカーメンのお墓は小さいが、近年まで密封状態だった為か、中の保存状態が極めて良く、回廊や石室のレリーフの彩色には未だに当時の色が鮮やかに残る。

玄室には王家の谷に一体だけ実物が残されたツタンカーメン王の裸のミイラが眠っている。彼が装着していた黄金のマスクは初日に見た通り、エジプト考古学博物館に移されている。

係員が頼みもしないのにツタンカーメンの顔をライトで照らし、スマホを取り上げて鮮明な顔写真と足の裏を撮ってくれたが、幼い心に刷り込まれた祟り怖さに写真は消してしまった。もちろんタダではない。係員のくせに親指と人差し指を丸めてマネー!と要求された。
空港でもポーターがカートを持って待ち構えているなど、ここではモノの押し売りもあるがサービスの押し付けも横行する。

現金でなくても日本製ボールペンはチップだけでなく、プチ賄賂にももってこいなので、エジプト旅行に行くときは多めに持っていくといいよ、とのアドバイスを受けていたが、賄賂として使うなら少なくてもお金より抵抗は薄い。