有料老人ホームに入居している母を、自粛期間を挟んで半年ぶりに見舞ってきました。
以前は自由に居室に入れたのに、最近は玄関横の面会室でアクリル板越しに15分間だけの面会です。
「久しぶり~!私が誰かわかる?」
「…さぁ??」
「(´;ω;`)」
義母の時もそうでしたが、せっかく自分に会いに来てくれる人だから、なんらかの縁があるとは
わかっているのだけれども、その関係性まではわからないのです。
「あなたの娘よ!」とマスクを取って顔を見せると
「ウソだぁ‥」
「(´;ω;`)」これには毎度メゲます。
以前は「妹でしょ」と言われました。
きっと母の記憶の中では、私はいつまでも10代のピチピチギャルか20代の若い娘なのでしょう。
だから母のメモリーにはオバサンになった今の私はいない。
誤解を怖れずに言えば、私の中にもすでに母はいません。
私の中には元気で清明だった時の母の姿しかありません。
この萎れてすっかり小さくなった老女のどこかに昔の面影が見えても、もう母ではありません。
哀しいかな、これは老いの真実です。
悲しいのは記憶をなくすこと。
淋しいのは忘れ去られること。