未来終活
ワクワクする後半生の設計図を描こう
未来終活エッセイ

遺品整理

私たちが日頃使っている道具や衣服、食器や日用品などが遺族にとってはほとんどが使えないものだと思い知るのは遺品整理の時です。

故人が生前大事にしていたモノだから想い出としてとっておきたくても、現実には置く場所がない、家を売るので中を空にしなくてはならない、などの理由で結局は心の中でごめんね、と故人とモノに謝りながら処分せざるを得ないのです。その切なさと淋しさは体験した者にしかわかりません。

義母が押入れの奥に残したものにガラスケースに入った作りかけの日本人形がありました。40年間いつかそれを完成させるつもりでいたであろう日本髪の美しい頭部と体軸だけのその人形を見た時は、さすがに胸に込み上げるものがありました。
その時私ははっきり悟ったのです。人が亡くなるとその人に属していたモノも共に死ぬのだと。

モノの豊かな最近はあまり見聞きしませんが、一昔前までは故人の時計や指輪、着物を配る形見分けという風習がありました。大叔母の一人は亡くなる二年ほど前に私を呼び、今までプレゼントしたものを返し、さらにいくつかの品物を私にくれました。私はそれを形見分けと承知して黙って受け取りました。生きているうちに不要なものを処分したり、価値あるものなら欲しい人に差し上げたり、最低限のモノに絞って身軽に生活することなど明治大正の女は自然体でやっていたようです。

モノには想い出があり、但しそれは自分だけのものです。だからそれは本来他人に棄てられるものではありません。遺族が遺品整理でシンドイ思いをするのはそこなのです。

生前整理は自分の歴史を振り返る作業でもあり、それが元気なうちに生前整理をお薦めしたい理由です。自分の想い出は大切に心にしまって来世に持ち帰りましょう。あの世に持っていけるのは想い出だけですから。