未来終活
ワクワクする後半生の設計図を描こう
未来終活エッセイ

一六銀行

既に故人となりましたが、大好きだった伯母に子供の頃教えてもらった単語があります。

「一六銀行って知ってる?」はて?まったく聞いたことのない銀行名で私にはさっぱりわからず「それってどこにある銀行?」と聞いたところ「ふふふ…1+6で7でしょ。つまり質屋のことよ」と教えてくれました。なるほど、そういうしゃれた呼び方があるのか」と子供ながらに感心して記憶に残ったのでした。

最近はさっぱり見かけなくなりましたが、昔はどこの町にも大きな字で「質」と染め抜いた看板代わりの大きな暖簾が掛かる、いかにも入りにくそうな閉鎖的な造りでしかしやけに頑丈な店構えの質屋という店舗がありました。そこに時計やよそ行きの晴着の着物とか季節外れで来ていない冬物のオーバーや背広を質草として持っていくと、それを担保に少額のお金を貸し付けてくれるのです。三人の食べ盛りの子供を育てているころ、サラリーマンの伯父の給料日を前にして現金がなくなると、伯母はこっそりそこに通っていたようなのです。

時が過ぎ伯父は出世して大きな会社の取締役になりました。そのころにはもう子供たちの教育も終わり、各自が独立して家を出ていたので、伯母には伯父が貰ってくる十分過ぎる報酬を使う先はなかったのです。時に豪華な絨毯や宝石指輪を買ったりというささやかな贅沢はしていた様子ですが、本当に欲しくて買ったものとも思えませんでした。

なぜなら「若くて欲しいものがたくさんあったときには全然買う余裕がなかったのに、お金がたくさんある時にはもう欲しいものがないのよ」とその頃の伯母は言っていたからです。

そう言って笑った伯母の寂しそうな笑顔が忘れられません。昔の伯母が質屋ではなく、将来有り余る自分たちのお金を借りられたなら、どんなに助かったことでしょう。そして私自身もいまとなるとその言葉の意味が身に染みてわかるのです。

人生とはままならぬもの。お金と命だけは時の壁を超えられません。